「YAMAHAのコピペ」ってどこまで本当なの? ヤマハ本社に聞いてきた
こんにちは。ヨッピーです。突然ですが皆さんは「ヤマハのコピペ」をご存じでしょうか。
ヤマハの歴史
・最初は輸入ピアノの修理→楽器関係作る
・楽器やってた流れで電子楽器も作る→DSPも作る
・DSPを他に利用しようとして→ルーター作る
という流れで、楽器、電子機器、ネットワーク関係の製品を作るようになった。
じゃ、なんで発動機や家具とかも作ってるかというと、
・ピアノの修理で木工のノウハウが溜まる→家具を作る→住宅設備も作る
・戦時中に軍から「家具作ってるんだから木製のプロペラ作れるだろ」といわれて戦闘機のプロペラ作る→ついでにエンジンも作る
・エンジン作ったから→バイクも作る
・エンジン作ったから→船も作る→船体作るのにFRPを作る
・FRPを利用して→ウォータースライダー→ついでにプールも作る
・プールの水濁ったんで→浄水器作る
・失敗作の浄水器で藻が大繁殖→藻の養殖始める→バイオ事業化
(出典不明)
これが「ヤマハのコピペ」というもの。「ヤマハ」という会社の成り立ちを示したものとしてインターネット上の
あちこちで出回っているのですが、果たしてこれは本当なのでしょうか?
「ヤマハ」という会社自体は超大企業で知名度も抜群ですが、いろんな事業をやっているので、
「実際にどういう会社なのか」はなかなか見えてこないのかもしれません。
そこで……、
そこらへんをヤマハの人に直接聞いてみようと思います!!
https://haken.inte.co.jp/i-engineer/interesting/yamaha-history
■「ヤマハのコピペ」って本当なの?
-えー、そんなわけでまずはこのコピペを見ていただいた上で、これが本当なのかいろいろとお聞きしたいのですが……。
っていうか、そもそもなんで3人もいるの?
岩:まずですね、一般的にいわれる「ヤマハ」という会社は、「ヤマハ発動機」と「ヤマハ」の2社が存在するんですよ。
なので、我々男性2人は「ヤマハ発動機」の代表、そしてこちらの女性は「ヤマハ」を代表してやって参りました。
-なるほど。大げさなことになって大変申し訳ございません。
矢:「ヤマハ発動機」は二輪車やマリン事業などを軸に、「ヤマハ」は楽器や音楽を軸に事業を展開しておりまして、
それぞれ別の会社なんですよ。ただし、この2社は歴史を辿ると同じ所に行きつきますので、今回の取材に対しては
2社でお答えした方がよいかと思いまして。
-ありがとうございます。では早速ですが、このコピペは本当なんでしょうか?
矢:合っている部分もありますし、間違っている部分もあります。
つづく
引用元: ・「YAMAHAのコピペ」ってどこまで本当なの? ヤマハ本社に聞いた 完全版「ヤマハの歴史」が完成
sssp://img.2ch.sc/ico/anime_kuma01.gif
ヤマハの歴史は、輸入オルガンの修理から始まった
・最初は輸入ピアノの修理→楽器関係作る
矢:このコピペの文章ですと「最初は輸入ピアノの修理」ということなのですが、正確には「輸入オルガン」です。
創業者である山葉寅楠(やまは とらくす/1851?1916年)は、明治維新後に長崎で時計の修理を学び、
その技術を買われて静岡県浜松で医療器械の修理技師として働いてたのですが、1887年のある日、
小学校に設置されていたアメリカ製のオルガンが故障し、修理を依頼されます。その修理をしていた時に、
「これなら自分で作れる」と思ってオルガンを自作し始めたんですよ。
-修理するために解体してみたら「こんなもん、俺でも作れるやんけ!」ってなったんですね。
矢:そうです。そのような経緯で1887年にオルガンの製作を開始したのが、現在のヤマハのルーツになっています。
ただ、医療器械とは違い、楽器ですので調律(音程などを音楽的に調整すること)に苦労したようです。
その後1900年よりピアノも製造するようになります。
-じゃあ、楽器作りのノウハウで家具を作って最終的にはプロペラも作るようになった、っていうのは?
・ピアノの修理で木工のノウハウが溜まる→家具を作る→住宅設備も作る
・戦時中に軍から「家具作ってるんだから木製のプロペラ作れるだろ」といわれて戦闘機のプロペラ作る→ついでにエンジンも作る
矢:冒頭の「ピアノの修理で木工のノウハウが溜まる」については、「ピアノの修理」ではなく「オルガンや
ピアノ作り」で、「戦闘機」は「軍用の航空機」です。1903年から高級家具の製作を開始しました。木製の
プロペラは軍の要請で1921年から、金属製のものは1931年からですね。
-なるほどなるほど。プロペラ作ったついでにエンジン作った、っていうのは?
矢:これは違いますね。終戦後、ヤマハの工場でも航空機のプロペラを作っていたためGHQに工作機械などを
接収されたのですが、1952年にそれが開放されたんですよ。開放されて手元に戻ってきた機械を使って何か
作れないか考えた結果、バイクの開発に着手することになります。
-ピアノからプロペラまでは理解できるけど、そこからバイクってなると一気に飛躍するなぁ。
■プロペラ製造から、バイクの製造へ
岩:当時のヤマハの社長は中興の祖といわれている川上源一(1912~2002年)ですが、その頃の国内の二輪車市場って、
ものすごくたくさんのメーカーがひしめいていたんですね。1954年の時点で200社ともいわれていたくらいに。
ただし、当時の国産バイクは「娯楽」ではなく、たくさん荷物が運べるというような「実用性」が優先されていたのです。
しかし、欧米を視察した川上源一は、日本にも欧米のような豊かな時代が必ずくると考えたんですね。
軽快さ、機動性、デザインといったものを重視した二輪車を打ち出しました。
岩:デザインだけでなく、性能もトップクラスだったので、富士登山オートレースに初参戦して初優勝したんです。
ヤマハ発動機株式会社が設立されて9日後のことです。そこから評判が市場に広がっていきました。
-楽器を作ってた人たちがバイク作ってみたら成功したってすごいなぁ。
つづく
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■船を作るきっかけは「アーチェリー」にあった
-ちなみに、船を作りはじめたのは? コピペの通り、「エンジン作ったから船もやるか」ってなったんですか?
・エンジン作ったから→船も作る→船体作るのにFRPを作る
岩:当時、川上源一はアメリカの水上レジャー文化を視察して「日本もいずれこうなるはずだ」と思い、
自分でも浜名湖にクルーザーを浮かべたりしていたそうです。その時に使用していたアメリカ製の船外機が、
よく故障したらしいんですよ。それで「だったらウチで船外機を作ってしまえ!」っていう。
-船体は? FRP(繊維強化プラスティック)で作るんですよね?
岩:これも川上源一が海外を視察した際に、FRP製のアーチェリーを見て「これだ!」と思ったんでしょうね。
「ウチでもアーチェリーを作るぞ!」となり、アーチェリーの弓の素材であったFRPを開発するようになり、
それが船体を作る技術につながります。
-なんでアーチェリーだったんですかね?
岩:川上源一は学生の頃に弓道をやっていたんですよ。
・FRPを利用して→ウォータースライダー→ついでにプールも作る
-でもそのFRPがウォータースライダーやプールなんかにつながるんですね。
岩:その通りです。ただし、プールが先です。ウォータースライダーはプール事業の一部ですよ。
■電子「楽器」から電子「機器」へ
-エンジンからボートの流れはよくわかりましたけど、電子機器は?
・楽器やってた流れで電子楽器も作る→DSPも作る
矢:これはですね、1952年にアメリカの電子オルガンについての研究を技術社員に指示していた川上源一社長が、
欧米視察から帰り「これをウチも作ろう!」と事業に着手しまして、1959年に電子オルガン、つまりはエレクトーンが
発売されるんですよ。そして当時のエレクトーンはすべてトランジスタを使用していたのですが、楽器で使うには
性能が不足しているということで、その後1971年にIC工場を建設、自社でLSIを開発・製造するようになり、
そのLSIをオーディオや電子楽器に応用するようになります。
矢:そしてLSIを作ったからコンピュータを作ろうということで、1983年にパソコンも作ったのですが、当時は斬新ながらも
時代を先取りしすぎていたのか、事業として継続することができず、撤退しました。
-えっ! ヤマハってパソコンも作ってたの!?
矢:そうなんですよ。いわゆるMSXという規格のパソコンだったのですが、ヤマハのMSXは豊富な音楽機能を
備えたミュージックコンピューターでもありました。撤退はしましたが、この時の技術が音源用電子機器や
ルーターなどの開発にかかわってくるんですね。ボーカロイドもそうです。
-ボカロ? 初音ミクみたいな?
矢:そうです。そもそもボーカロイドはヤマハが開発した歌声合成技術というものでして、その技術をさまざまな
会社さんにライセンス提供しています。初音ミクもその1つなんですよ。
-でもこれでヤマハの歩みがだいぶ見えてきたな……!
つづく
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■インドネシア在住社員の家族の一声で、浄水器の開発へ
-あとは、浄水器とかバイオ事業の話ですね。
・プールの水濁ったんで→浄水器作る
・失敗作の浄水器で藻が大繁殖→藻の養殖始める→バイオ事業化
岩:これはコピペとはかなり違いますね。「プールの水が濁ったから」という理由で浄水器を開発したのではなく、
インドネシアに駐在していた社員の家族から「水道の水が茶色い」というような相談を受けまして、インドネシアの
水質改善のため、浄水器開発に取り組みました。
-なるほど。藻の培養とかバイオ事業は?
岩:バイオ事業については、世界的に二酸化炭素の増加による温暖化の問題があり、我々は二酸化炭素を
排出する二輪車を販売しておりますので、その発生した二酸化炭素を吸収することができないかと微細藻類の
培養を始めました。この微細藻類がアスタキサンチンといったような有用な物質をつくるということで事業化を
進めたのですが、うまくいかずに2010年に撤退しました。
-なるほど。だいぶ整理できてきましたね! でも、話を聞いてると割と行き当たりばったりというか、
「あれができたらからこれも」みたいな感じであっちこっちに進出して、それで結果的にこれだけの
会社に成長したっていうのはすごいですね……。
矢:もちろん、事業化するにあたって検討に検討を重ねた上で判断しています。なかには、川上源一社長が
プライベートで伊勢志摩をクルージングしていて、周辺の地形にすっかり精通し気に入ったということで、
その地に鳥羽国際ホテルを作ったという例もありますが。
-気に入ったからって自分でホテルを作るな!
-じゃあええと、全部整理してみよう。
■完全版「ヤマハの歴史」
【ヤマハの歴史】
・最初は輸入オルガンの修理→楽器関係作る
・楽器やってた流れで電子楽器も作る→LSIも作る
・LSIを作ったからパソコンも作る→他にも利用しようとしてルーター作る
という流れで、楽器、電子機器、ネットワーク関係の製品を作るようになった。
じゃ、なんで発動機や家具とかも作ったのかというと、
・オルガンやピアノ作りで木工のノウハウが蓄積される→家具を作る→住宅設備も作る
・戦時中に軍から「家具作ってるんだから木製のプロペラ作れるだろ」といわれて航空機のプロペラ作る→終戦後にGHQから返してもらった設備でバイクとエンジン作る
・ヤマハ発動機を立ち上げる→設立9日後に初めて作ったバイクでレースに優勝
・社長が弓道やってたからFRPでアーチェリー作る→FRPあるから船も作る
・社長が自分で使ってたアメリカ製の船外機がよく故障するので船外機作る
・FRPを利用してプールを作る→ついでにウォータースライダーも作る
・インドネシアの駐在員の家族から「水道水が汚い」ってクレームがきたから浄水器作る
・バイクから出る二酸化炭素を何とかできないかと思ってバイオ事業化
【撤退した事業】
パソコン、風力発電、ガスヒートポンプ、バイオ事業
家具(リビング)事業
以下略 続きはソースで
ソースは>>1
つか、ヤマハがエンジン作らなかったら今は無いじゃん
ヤマハは人名だったのか。
技術を貪欲に吸収する姿は、技師として素晴らしい方だったのですね。
自前で演算装置作って低価格にしてムービングフェーダー備えてあの性能
世界的大ヒット商品
多角化するのはよくあるけど撤退するのも速いのがすごいな
>>14
確かに
大体どこの企業も辞め時を失ってズルズル経費やコスト重ねた上に本業にまで影響出た時にようやく辞める決心がつくぐらい
時には本業に影響出ても辞めずに会社潰すこともあるのに
この辞められる決断力は素晴らしいと思うわ
日立造船もそんな感じ
当時出はじめたFM音源のデジタルシンセを内蔵していて、まあキーボードのついたDX-7だな
いいマシンだったけど競合も多かったからな
YIS503IIがパソコン初体験だった
今見るとヤマハのMSXってデザイン格好良いよな
>>144
DX7とデザインコンセプト一緒だからな。
初音ミクの人気で
コスチューム衣装元のDX7が再燃したみたいだけど、
このMSXパソコンのプレミアが上がったっという話はきかないな。
DX7のエディットができるプログラムカートリッジのセットが売ってて、
それもあったら価値ありそうなんだけどな。
欲しかった!
シーケンサーもMIDI端子もFM音源も全部入りだったからな
でも、出る時期が早すぎた…
後のQYシリーズなんかも早すぎた製品だな